黒門市場の由来

 明治の末期まで堺筋に面した日本橋2丁目に、圓明寺という大きなお寺があったことから、
黒門市場は圓明寺市場と呼ばれていました。 圓明寺の北東に向かって黒い山門があり、この
黒い門の存在が後日、黒門市場と呼ばれるゆえんであります。

 江戸時代には、天満の監獄で刑の決まった囚人が、現在の道頓堀から二ツ井戸あたりまで
護送され、千日前の刑場にいく途中、圓明寺の黒い山門をくぐったと云われています。
 古書「摂陽奇観」に「文政5年(1822年)〜6年の頃より毎朝魚商人、この辺に集まりて魚の
売買をなし、午後には諸方のなぐれ魚を持ち寄りて、日本橋にて売り捌くこと南陽の繁昌なるや」
とあり、この記述が黒門市場の起源であると考えられます。

 明治15年1月に安井健次氏が、南区日本橋南詰で魚類青物市場の開設を大阪府へ出願
しましたが、商法会議の臨時会で賛成者少数のため否決されました。しかし、その後も魚商人に
よる売買が継続され、明治35年2月に公認市場として認可されました。

 市場は明治45年1月の難波の大火災で、圓明寺と黒い門とともに消失し、また先の大戦で
昭和20年3月、市場界わいは焼土と化しましたが、戦後まもなく元の商人たちが集まり、市場の
復興に尽力いたしました。
 以後、食い道楽、浪速っ子の胃袋をあずかり、卸売と小売の機能を兼ねそなえた市場として
親しまれ、今日に至っています。

市場の変遷

大正期
 明治35年に公認市場となりました圓明寺市場(現、黒門市場)は、明治45年の難波の大火災を
経験したとはいうものの、大正期に入って中央市場をも凌ぐ勢いで発展し、「中央市場になくても
黒門へ行けば」と云われるようになり、鮮魚を中心とした市場として、その名は不動のものと
なりました。

昭和期(戦前)
 昭和に入ってから市場の様相は、大正時代にもまして活気がありました。
午前5時〜10時の間は白いカッポウ着の板前さん、午前11時〜午後3時までは一般の買物客、
そして午後3時以降は料理屋などの玄人衆が客としてにぎわいをみせました。
 大阪が生んだ庶民作家、織田作之助の作品の中で、昭和10年〜20年頃の黒門市場と、
その周辺の様相を次のように書かれています。

「夜更けて赤電車で帰った。日本橋1丁目で降りて、野良犬がごみ箱をあさっている。ほかに
人通りもなく静まり返った中に、ただ魚の生臭い臭気が漂っている黒門市場の中を通り、路地へ
入ると、プンプン良いにおいがした。」(夫婦善哉)

「坂を下りて北へ折れると市場で、もう店を仕舞うたらしい若者が猿股一つの裸で鈍い軒燈の
光をあびながら将棋をしていました。」(アドバルーン)

 大阪をこよなく愛した織田作と、黒門市場の持つ庶民性とが、どことなく一致、共通いたして
おります。
 さて、戦前の黒門市場は、年末の4日間、眠る時間がない程の賑わいを見せたという事から、
今日同様の忙しさであったと推察されます。
 また戦時中は、配給制度のもとで営業し、店によっては開店前から店の前に行列ができ、
旧松坂屋あたりまで食料品を求める人の列が続きました。

昭和期(戦後)
 昭和20年3月14日の空襲で、それまで繁栄を極めてた黒門市場は消失してしまい、住人は
離散を余儀なくされましたが、市場の復興は戦後すぐ実行され、大阪府の払い下げのバラック
住宅を建設し、かつての黒門仲間達でいち早く市場を再建いたしました。

 千日前通りの人通りが増えだしたのと時を同じくして、昭和25年〜26年に配給制度が解除と
なり、「大阪の胃袋」としての黒門市場に再び脚光が当てられました。ミナミの街も活気づき、
キャバレー・アルサロの全盛となり、クリスマスなどはオールナイト営業、黒門市場もその恩恵に
浴したのはいうまでもありません。また、市場の周辺には、ミナミのネオン街で働く女性のための
マンションが建ち並ぶようになりました。

 昭和35年から昭和40年にかけて夜店の全盛期となり、昼間の営業店が閉店と同時に夜間
営業店が開店し、早朝から夜間まで活況を呈していました。しかし、昭和40年代後半は、黒門
のみならず全国各地の市場にとって「冬の時代」でもありました。巨大資本に圧倒され日常生活
の変化にともない、黒門市場にとりましても客数は横バイ状態で苦難の時期でした。

 50年代に入って、対面販売消費者に見直され、スーパー等の冷たさとは反対に市場の持つ
温かさが再認識されつつありますので、PR活動も積極的に展開し、徐々に一般の買い物客が
増えつつあります。門外不出だった黒門も、昭和58年から百貨店に祭事出店し、大阪の台所
としての役割も立派にはたしてきております。年末には、戦前と同じく人も身動きできないほどの
盛況ぶりになっております。幸いにして「黒門」は歴史があり、老舗としての強みにプラスして、
近代的なセールスの手法を学び、長期的展望に立脚した戦略をとりつつあります。

平成期
 長期的な市場振興策として、平成元年10月2日からスタンプ事業を実施し販売促進と顧客の
定着化を図っています。市場の活性化と環境改善のため、昭和60年に新栄会の原石舗装の
完成に続き、北門会・末広会・日二会・黒門会・南黒門会のアスファルト舗装をテラゾー舗装に
改修して、平成3年8月31日竣工いたしました。このテラゾー舗装の完成をお祝いするとともに、
創業170周年を迎えることから、平成3年10月5日に「創業170年!!激安セール」を実施
しました。

 大店法改正が平成4年1月31日に施工され、中小商業にとっては厳しい時代を迎えることに
なりました。
 一方、黒門市場は従来から、駐車場・駐輪場・公衆便所等の設置が課題となっております。
これらを総括して市場の活性化ビジョン策定のため、平成4年4月28日に組合理事及び各会の
代表者・近代化研究会・青年会役員など合計23名を構成員とした「活性化ビジョン策定委員会」
を発足しました。平成5年4月からは、さらに事業化を図るため、「高度活性化推進協議会」に
改め、施設整備等に向けて検討中であります。


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